保育業界を牽引している大豆生田啓友先生に「子ども主体の保育」を軸にしたさまざまなお話を伺いました。子どもと社会の距離感、保育士の社会的価値、保育業界から見える日本社会の未来とは――。聞き手:保育士バンク!総研 石毛、清末※役職は2023年9月末時点プロフィール玉川大学教育学部・教授大豆生田 啓友【経歴】青山学院大学大学院文学研究科教育学専攻修了後、青山学院幼稚園教諭等を経て、現職。【社会的活動】日本保育学会理事、日本こども環境学会理事、こども家庭庁「こども家庭審議会」 委員および「幼児期までのこどもの育ち部会」委員(部会長代理)、文部科学省「幼保小の接続期の教育の質的向上に関する検討チーム」委員(2023年3月まで)、厚生労働省「保育所等における保育の質の確保と向上に関する検討会」委員(座長代理、2021年3月まで)、よこはま☆保育・教育宣言運用協議会委員、yahoo japan公式コメンテーター、 NHK・Eテレ「すくすく子育て」出演、テレビ静岡「テレビ寺子屋」出演、等副社長COO/保育士バンク!総研 所長石毛 陽子東京大学卒業後、大和証券エスエムビーシー株式会社(現・大和証券株式会社)にて経営企画、コーポレート・ファイナンス業務等に従事(うち2年間シンガポールに出向)。その後欧州戦略コンサルティングファームに参画し、東京及びシンガポール拠点にて、日系及び外資企業のグローバル展開やDXを支援。2018年に株式会社ネクストビートにてCSO(チーフ・ストラテジー・オフィサー)、2022年より副社長COOとして企業成長を牽引。米戦略コンサルティングファーム A.T.Kearney のAssociated Specialist Advisorも務める。2児の母。CRO/保育士バンク!事業責任者清末 彰胤 2005年一橋大学商学部卒。新卒で広告会社のアサツーディ・ケイ(現ADKホールディングス)へ入社し法人営業を経験した後、岩手県釜石市の仮設住宅に住み込み東日本大震災の復興支援事業に参画。その後山田ビジネスコンサルティング、PwCアドバイザリーにて一貫して事業再生コンサルティング業務に従事。2022年2月、ネクストビートに入社。3児の父。「子どもの主体の保育」を目指す園が増加------ 近年、保育に求められるニーズが拡大し、保育士の負担が増えているという現場からの声があります。大豆生田先生が感じている、保育業界の変化について教えてください。 大豆生田先生:今、保育業界は大きな過渡期を迎えています。これまでは待機児童の解消という量的拡大が大きな課題でした。そのため保育園が増え、新たに課題となったものはあると思います。しかし、過渡期だからこそピンチとチャンスが共存しているのではないでしょうか。保育士不足などのマイナスの側面がある一方、プラスの側面も大きく見えてきたかなと思っています。「子ども主体の保育」についてのベネッセ(※)の調査からはプラスの側面が見えてきます。園の回答は、「子どもの主体の保育が実現できている」が約2割、「子どもの主体性は大事にしているが実際には統制を優先せざるを得ない」が約3割、「昔ながらの一斉保育が行われている」が2割ちょっとという結果でした。注目すべきは「子ども主体の保育に移行しつつある」という回答が約3割だったことです。これは、明らかに現場が動き出していることを示唆しています。今までは「小学校に入ってからちゃんと座れるように」「できるだけ早くから勉強が必要」という保護者のニーズに現場が合わせざるを得ない状況がありました。また、園の行事も保護者が喜ぶ内容が優先されがちで、これは業界全体の課題になっていました。しかし、コロナ禍を経て行事の見直しが行われました。さらに、これまで保育に関する研修に参加できる保育士は1園当たり1、2名だったのですが、オンライン研修が一般的になった今では、園の保育士全員が研修を受けられます。こうした状況が、子どもの主体の保育を目指す園が増えた要因の一つと考えられます。【参考】※ベネッセ、全国1,062園に「これからの保育を考えるための基礎調査」を実施「子ども主体が重要」と考える園が99.7% 一方、実現できている園は約2割https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001160.000000120.html保育業界で、保育者から保護者に「わくわく」が伝播。好循環の組織に大豆生田先生:先ほど紹介した調査結果でもうひとつ興味深いのは、一斉型、統制型の保育を行なっている園でも「子ども主体の保育の方が良い」ことを理解していることです。 子どもの主体性、すなわち個性やその子らしさを尊重する保育は、同時に先生たちも自分らしさや主体性を発揮することになります。そのような保育では保育者の「わくわく」が子どもに伝わり、園がそれを発信することで保護者にもわくわくが伝播します。このサイクルがうまく動き出すと、保育士がよりやりがいを感じることができます。今、このサイクルを目指して多くの園が変わり始めています。しかし、その壁として配置基準や待遇、保育時間の長さなどの制度面が問題になる一方で、少子化、保育士不足というマイナスの状況下でも、うまくマネジメントして子ども主体の保育を実践している園もあります。こうした園では、保育士もやりがいや手応えを感じ、保護者もそれをポジティブに感じ始めています。------ その通りだと思います。しかし、「保育士バンク!」では求職や転職を希望する方々から現場や労働環境への不満も見聞きします。昨今、報道されている「不適切保育」という言葉の強い影響もあり、保育の現場でわくわくを醸成したい反面、監視されながらの保育が増えている印象があります。大豆生田先生:園が保育の運営、マネジメント方針をどちらの方向で考えるかが重要です。保育者が子どものやりたいことを尊重し、保護者とも良好な関係を結ぶ「外にも開かれた保育」か、子どもや保育士を監視し、できるだけ挑戦せず最低限のことをこなす「内向きの保育」を目指すのかという問題ではないでしょうか。保育の質と魅力を高めるための職場環境が重要大豆生田先生:園の方針の違いは、保育士の仕事のやりがいに大きく関係しています。残念ながら、ネット上に不満の声があふれている現状も存じ上げています。しかし、その中でもやりがいや手応えを感じている保育士がいるのも事実です。本来、保育の仕事を選んだ人の多くは子どもが好きで、子どもを管理したい人はいないと思います。保育が楽しければ、離職を選択しないのではないでしょうか。先ほどの調査結果でも、管理を優先する一斉保育を行う園では、離職率や採用が大きな問題になっています。子ども主体の保育を実践し、それを保護者が理解することで、より保育の質は高まりますが、このサイクルを作り出すためには職場環境の改善が必要です。------ 主体性を尊重する保育と一斉保育は、どこに大きな違いがあるのでしょうか。大豆生田先生:主体性と聞くと、自主性や積極性を思い浮かべる方が多いですが、私は主体性=「その子らしさ」あるいは「その子がその子であること」と定義しています。積極的に手を挙げる子どもだけが「主体性がある子」ではありません。黙っていても実は心が動いている子どももいます。そんなその子らしさを大切にするのが、子ども主体の保育です。 こども基本法が制定され、こども家庭庁が発足し、すべての子どもの権利や主体性が尊重されることが大切であることが示されています。それは、すべての園で、すべての子どもの主体性が尊重されることが求められているとも言えます。主体性を大事にする一斉保育もあるので一概にはいえませんが、どういうタイプの保育でも、主体性を大事にすることが保育の質を高めるという根幹は同じです。不適切保育は、その子らしさではなく大人の一方的な「あるべき姿」を強要して起こるという側面があります。また、保育者の人間関係のヒエラルキーも不適切保育が起こりやすい原因のひとつです。保育士が自分らしさを大切にするためには、職場での心理的安全性が確保され、いきいきと働くことができる環境が必要なのです。「保育サービス」ではなく「一緒に育てるパートナー」という考え方------ 心理的安全性という点では、監視カメラの設置は真逆の状況を作り出してしまいます。大豆生田先生:保育士たちをチェックするという目的での設置なら、信頼関係は保てないでしょうね。何かあったときに説明できる記録として残すのは職員を守る一つの方法だとは思います。ただ、監視になってしまうと逆効果にもなりえます。まずは、職場の心理的安全性や風通しの良い人間関係の形成に注力することがよいと思います。------ 最近では、保護者がボイスレコーダーを子供に持たせるというケースもあるようで、保育士と保護者の信頼関係が損なわれつつあるのではないかと考えてしまいます。大豆生田先生:保護者がボイスレコーダーを使いたくなるような状況をできるだけ作らないようにすることが必要です。子どもが帰ってきて「担任の先生が今日こんなことをしてくれたの!」と毎日楽しそうにしていたら、ボイスレコーダーなんて必要ないですよね。保育サービスという言葉は存在しますが「保育が保護者向けの便利なサービス」という発想は、少し違うと考えています。運動会を見栄えよく華やかに見せることより、保育のプロとしての目線でそれぞれの子どもの成長や発達に大切なことをしっかり保護者にも伝えていくことの方が大切です。 これまでは、保護者たちが保育サービスの受け手という前提で、保育者には保護者たちからどう見られるかという大きなストレスがかかっていました。でも、保育者、園の経営者はもっと自信を持ってよいと思います。質の高い保育の重要性を子どもの姿を通して伝えていくべきではないでしょうか。そうすれば保護者は、保育というサービスの受け手ではなく、子どもの成長を一緒に考えてパートナーとして保育者を見るようになります。このような保育に対する考え方の転換が起こらない限り、負のサイクルはずっとまわり続けます。実習を変えることで、保育の魅力がより伝わる------ 現状、日本ではそのような考え方がまだ浸透しておらず、保育は大変な仕事というイメージがつきまとっています。保育士の志望者、保育士養成校の廃校も増えています。大豆生田先生:養成校だけでなく業界全体をあげて、保育がいかに魅力的な仕事かを伝えていくべきです。学生が行う保育実習は、昭和からあまり変わっていない実態もありました。実習日誌を夜中まで毎日書かなければならないなど、実習を通して保育の仕事が大変だと感じる学生も多いようです。これは養成校の大きな課題でもあります。しかし、一昔前は受け入れ園から「もっと養成校で実習生をしつけてほしい」といわれるような関係性が、今は養成校から園に対して「学生のためにこんな実習をお願いしたい」と呼びかけるようになっています。実習で保育の楽しさを感じ、この仕事に就きたい、この園に勤めたいという希望を学生に持ってもらいたいからです。本学では、早い段階からドキュメンテーション日誌を取り入れています。学生が写真で記録とることで日誌作成の時間が半減するだけでなく、先生も視覚的に記録を見ることができます。そうすることで両者のコミュニケーションが増え、お互いにとってメリットになります。このように、実習の受け入れ園とうまく連携し、学生にとって希望になるような実習を模索する養成校も増えつつあります。 ------ それは学生の希望につながりそうです。しかし、親御さんに保育士になることを反対されるという声も耳にします。大豆生田先生:保育士の仕事がポジティブなイメージ持たれていない現状はありますが、実際はそうではない現場も増え始めています。保育の研修も変わってきています。研修で学んだことを次回までに園で実践し、それを写真で報告する往還型の研修によって、一斉保育だった園やその保護者たちの態度の変化も見られます。各園の実践を持ち寄って、成果を出す研修スタイルです。こういうムーブメントが起こると保育士のわくわくが子どもに伝わり、子どもを介して保護者に伝わり、広く社会に広がっていきます。このように保育の現場を魅力的な場所として社会に見せていくことが大切です。社会への発信で保育のイメージを変え、社会をつくり変える大豆生田先生:先日、NPOの呼びかけで保育園選びについての講座を横浜市で開催したのですが多くの人が集まり、大盛況でした。子ども主体の保育や園選びが、子どもや家庭、社会にとってよいことは私たち研究者もわかっていましたが、今までは待機児童の問題があり発信しづらい状況でした。しかし、NPOや保護者たちから子ども主体の保育や園選びについて考えたいという声が上がり始めています。産前産後から始まって、小学校に入るまでの乳幼児期の育ちはとても重要です。このことを保育者だけでなく、普段子どもに関わらない人も含めた社会全体に説明する必要があります。私がメディアに出るのも、保育の仕事がこんなに魅力的ということを伝えたいからです。社会はもっと園や保育士をリスペクトし、配置基準や待遇等を変えるための予算をつけるべきだと思います。でも現状はまったく十分ではありません。しかし、保育業界の過渡期である今が動き出すチャンスだと捉えています。現場の人たちも諦めずに発信してほしいですし、保育現場を社会に開くべきです。そして、子どもの声が騒音なんていわせない社会にするべきです。子どもに接点のない人がもし子どもに「○○のおじいちゃん」と呼ばれる機会があれば、きっと子どもの声もかわいく聞こえるでしょう。そのような社会を作っていく必要があります。これは子どもや保育業界だけの話ではなく、この国の経済や幸せな未来のために大切なことです。子どもや子育て・保育がネガティブにみられる社会では、明るい未来は創り出されません。私たちは、これから本当の意味での「こどもまんなか社会」を作るべきだと思います。------ 開かれた保育や子どもと社会の距離感に、保育の明るい未来が見えました。ありがとうございました。【保育士バンク!総研の特別企画】現役保育士から大豆生田先生への質問コーナー------ 現在、保育士が置かれている状況や働き方について、どんな心がけをしたらよいでしょうか。大豆生田先生の回答保育に関わる仕事があなたにとって大きな負担になっていることに、心を痛めています。これでいいのかと悩むこともあると思います。でも、あなたが1人の子にていねいに向き合おうとしていることで救われる子どもが、確実にいます。理想通りではないかもしれませんが、あなたと出会った子どもの中に、あなたの温かい関わりによって、小さな何かが芽生えると思います。保育士としてどれだけ重要な仕事をしているかを自覚していただくことが大切です。保育業界の様々な課題をすぐに解決できないことを申し訳なく思います。でも、あなたのやっている仕事には価値があります。でも、もし心身が辛いなら無理しなくてもかまいません。少し休んで、リセットしてもいいのです。あなたの心と体をいちばん大事にしてください。リセットした後、もし前向きに考えられたら、あなたに合った働き方ができる場所を探してみてもらえたら嬉しく思います。------ 他の先生の関わりが不適切保育にあたるのでは…と思っても委縮してしまって指摘できません。園での不適切保育に気づいたときの対処方法について教えてください。大豆生田先生の回答不適切保育行なっているのが先輩だとしたら、なおさら伝えることは難しいでしょう。本来なら保育の経験年数に関係なく、ざっくばらんに何でも話せる環境であるべきですが、現状はそうでもないかもしれません。もし、リーダー層に理解があれば、そこに相談を持ちかけるのもひとつの方法です。もしくは、園内で研修のような機会があればそこでさりげなく伝え、ある人を責めるのではなくみんなで語り合う場をつくることを促すのはどうでしょうか。不適切保育なのか虐待なのかの線引きは難しいのですが、1人で抱えてはいけません。問題として取り扱われるようにリーダー層に働きかけるのがよいと思います。もし、問題解決が園内では難しい場合、自治体の窓口等に相談することも考えてほしいです。------ 大豆生田先生、ありがとうございました。保育士バンク!総研は、保育業界の課題に向き合い、解決に寄り添うことで保育業界に貢献することを目的に設立いたしました。これからも、保育に携わるすべての方にとって有益な情報の発信に努めてまいります。